鳥取県の歴史しってる?

鳥取県には弥生時代の遺跡や中世の建築物などが多く残されています。
長い年月をかけて、たくさんの人が活躍してきたことで、今の鳥取県があるのです。


鳥取県の歴史

古代の鳥取〜弥生人が話題に〜

鳥取の地には縄文時代や弥生時代の遺跡があり、古墳もたくさん発見されています。発見された出土品から、大陸や朝鮮半島と盛んな交流を持ち、豊かな土地であったことがわかります。鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった人骨とDNAの分析から復元した弥生人の顔は、全国のニュースでも話題になりました。

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)

約152ヘクタール、東京ドームが34個も入る日本最大級の集落跡です。遺跡は6つの地区からなり、墳墓エリアからは、出雲地方などに見られる四隅突出型墳丘墓が複数発見され、古代の山陰地方一帯に広がる独自の文化があったと考えられています。

青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)

青谷上寺地遺跡では、大量の土器や木器をはじめ多種多様な出土品から「地下の弥生博物館」とも言われています。人骨が多く出土し、このうち3体の頭蓋骨に脳が残っていたことは、世界でも数例しかない貴重な発見として注目を集めました。

鳥取県が誕生したのは約150年前

鳥取県にはむかし、因幡と伯耆の2つの国がありました。江戸時代に、この2つの国を治めた鳥取藩の池田氏は鳥取城にすんでいました。そして、明治4年に鳥取藩は鳥取県になりました。その後、明治9年から5年間はとなりの島根県に合併されましたが、もう一度鳥取県を置こうという声が大きかったことから、明治14年9月に、いまの鳥取県が生まれました。

*とっとり県民の日:9月12日

鳥取城跡

戦国時代中期に鳥取城が建てられ、豊臣秀吉の兵糧攻めにあったことで知られています。現在、お城はありませんが、石垣や天守台が残されています。

米子城跡

江戸時代初期に戦国武将の吉川広家が建設を始めたとされています。標高約90メートルの天守台からは、大山や中海、日本海、市街地などが見渡せます。

大山寺(だいせんじ)

大山の中腹にある大山寺は、厳しい自然環境に囲まれた山岳仏教の聖地です。重要文化財の阿弥陀堂・大神山神社奥宮などの建物が残っています。

三徳山(みとくさん)

三朝町にある標高900mの三徳山は、山全体が国の名勝及び史跡に指定され、「森林浴の森百選」にも選ばれている自然豊かな山です。国宝の三仏寺投入堂は急でけわしい崖に建てられていて、とても人間の手によるものとは思えない建物です。


鳥取県の名前の由来

奈良時代のころ、鳥取県東部の鳥取市の久松山(きゅうしょうざん)付近は湖や沼が多く、水鳥などがたくさんいました。この鳥を取ることを仕事にしていた鳥取部(ととりべ)〔部というのは役目という意味〕が住んでいたことから、このあたりを鳥取(とっとり)と呼ぶようになったということです。


鳥取県のシンボル

県章(けんしょう)

飛ぶ鳥の姿と、 鳥取県のかしら文字「と」をあらわしています。自由と平和と鳥取県の発展を願い、昭和43年につくられました。

県の花:二十世紀梨の花

鳥取県の特産の二十世紀梨(にじっせいきなし)の花は春になると小さな白い花を咲かせます。

県の木:ダイセンキャラボク

高地に生育するイチイ科の針葉樹。秋には赤い実がみのります。

県の鳥:オシドリ

美しく平和な姿をした水鳥の一種。一年中県内の沼や池でみることができます。

県の魚:ヒラメ

鳥取県の近くの海でとれる高級魚。県内では養殖もしています。

トリピー

鳥取県のキャラクター「トリピー」

誕生日:
1997年7月12日
生まれた場所:
境港市山陰・夢みなと博覧会

ごあいさつ

ぼく、トリピー。山陰(さんいん)・夢みなと博覧会(はくらんかい)にはみんな来てくれてありがとう。すごく楽しかったよ。ぼくは、いま「鳥取県のマスコットキャラクター」として活躍(かつやく)しているんだ。

鳥取県の方言や歌

方言は、その地方だけで使われている言葉や言葉づかいのことです。鳥取県では昔、因幡と伯耆の二国からなっていたことから、おもに東部と西部に、それぞれの方言があります。たとえば、「大きい」は「がいな」、「めんどくさい」は「たいぎい」など。地域や年代によっても違いますが、鳥取ならではの話し方をしているのです。

県民歌「わきあがる力」

作詞:鳥取県民歌制定委員会 作曲:團伊玖磨
昭和43年に制定されました。